本要寺

付近住所 三木市本町2-3-6


 吉祥山本要寺は、もともと天台宗の寺でしたが、鎌倉時代に日蓮宗に改宗し、今日まで宗徒の信仰の場として続いてきた伝統ある寺です。古くから、湯の山街道、ひめじ道、あかし道が分岐する市街地の中心部に位置し、門前の県道周辺も戦前までは寺の境内に含まれていました。
 戦国時代、羽柴秀吉の三木城攻めの時に火災にみまわれましたが、幸運にも本堂のみ戦火を免れました。天正8年(1580年)1月三木城が落ちると、秀吉は平井山本陣からこの本要寺の本堂に本陣を移し、当寺を三木町各16か寺院の主席に命じました。
 また、秀吉は各地に四散していた町民を呼び戻すために三木を免租地とする制札を建てました。それが三木を金物の町として復興させる起爆剤になり、その制札が今も本要寺境内の市有宝蔵に大切に保存されています。ところが延宝5年(1677年)徳川4代将軍家綱の検地令によって免租の恩典が取り消されようとしました。町民は当時集会所にも利用されていた当寺に結集し会合した結果、平田町の大庄屋岡村源兵衛と平山町年寄大西与三右衛門の二人が打ち首覚悟で江戸への直訴を決行しました。
 老中酒井雅楽頭の屋敷前で断食の座り込みを行い、免租はそのまま、二人は死罪を免れ無事三木の地を踏むことができました。宝永4年(1707年)本要寺境内に顕彰碑が建てられ、毎年7月18日には義民祭法要と宝蔵虫干しが行われています。